何がって記せるものではないのですが

 

とある社会問題についての意見を求められ

 

「許すべきではないと感じます。」と答えました。

 

何でも許す世の中が望みであるのならば

 

その人自身も全てを許す人であるべきだ。

 

イエスキリストの如く

 

十字架に磔となって処刑されたとしても

 

許す覚悟が必要です。

 

僕はそこまでして許す覚悟は無いし

 

密教はそれで良いと思っています。

 

”あいつのことは絶対に許さない”

 

それもまた仏の境地の一つですよ。

  

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