「ご縁切り」の作法を回避するために
「四国八十八ヶ所参り」を始めた人があるらしいのですが
全く意味ないでしょうね。
全てを捨てて
全てを歩き遍路で取り組むのであれば
意味を成すかも知れませんが
自分の都合で自己満足的に行っても
菅直人
清原和博
彼らと同じようなものでしょう。
そもそもそうした仏に対する安易な考えが
結局最後はパットしない
人生の結末に繋がっているのですよ。
だから答えは変わらない。
それだけの話です。
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